【弦】

――――弦だけで音はしない

誰かが言った

ほんとうに?

さっき風が鳴らした
子どもたちが走り抜ける夕暮れの路地の喚声がこだました
夢の窓から飛び立ったかなしい瞳をした鳥が
つばさを休めた

だからじっと動かないで
だれが囁くのか

ひかる一本の弦で結ばれているもうひとつのわたしの痛み

後ろに広がる全ての風景が
やさしく耳を澄ましてる
奏でることのできないメロディに

    ――――――歌劇【ハルシュタット】より


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コメント

“【弦】” への3件のフィードバック

  1. 薔薇*
    薔薇*

    註:
    作中のある行のみ
    お気に入りの詩集からの引用です。
    著者に了解をいただいています。

  2. 蛾兆ボルカ
    蛾兆ボルカ

    この作品には【どこか一行が引用であるけど、どこなのかも引用元も示されない】という顕著な特徴があるわけですが、その効果がわからず、私は戸惑いました。
    (合法かどうかには、意見ありません。この作品で、それをわざわざ隠蔽する効果について、興味を持ちました。)

    例)小林旭(唄)「熱き心に」
    https://youtu.be/PTmFeMVNbCA?si=rGWK9ONLkvZgTClJ
    この歌の「ふれもせず」は引喩だと思うのですが、これは流行歌なので耳から聞きます。ですから、聴いてる人がモトネタに気づくかどうかは聴く人次第ですよね。なので、形としては引用元が示されていないとも言えると思います。
    この場合は、聴手に、引用元を知っていて、引用に気づく人と気づかないひとがいて、ほとんどの人は気づくのではないかと思います。そして作品全体の解釈も、元ネタとの反響で深まると思います。
    気付いた人への、引用元が隠蔽されてる効果としては、「あ!あれだ!」という驚きが伴うことだと思います。
    気づかない人への、引用元隠蔽の効果は何でしょうか?
    この「熱き心に」の場合は有名なフレーズなので、引用元を言えない人でも、この箇所で「どこかで聞いたようなフレーズだな。」と感じることでしょう。そしてそれは引用する事の効果ですよね。 引用元隠蔽の効果は何か?
    考え込んでしまったのですが、引用元を知らない人への、引用元隠蔽の効果は、この歌の場合は、「このフレーズはどこで聞いたんだろう?」と考える事(言い換えると、記憶を探る動作をすること)により、ノスタルジーが喚起されることなのではないか、と思います。
    他の効果は思いつきませんでした。

    薔薇さんの作品「弦」ですが、上述の例と比較して違うのは、引用箇所も元ネタも、ほとんどの人が知らないということだと思います。そして知らない人は、どのフレーズが引用なのかもわからないので、分からない事でノスタルジーを喚起されることもありません。
    ですので、この場合、引用元を隠蔽することの効果は、引用元を知らない人にとっては、何も無いように私は思いました。
    引用元を知っていた少数の人にとっては、引用元の隠蔽は、上述の「熱き心に」と同様の効果があるのでは、と推測します。自分で気づくのと、教えられるのは、やはり違いますから。

    次に、引用のことは一度忘れるとしての、作品の感想です。
    「弦だけで音はしない」
    というフレーズが「誰かがいった」との説明とともに、引用のように示され、詩行の進行に伴い、それが疑われたり否定されたり、または解釈されたりしていく構造になってると思います。
    「ひかる一本の弦で結ばれているもうひとつのわたしの痛み」
    という後半のフレーズで、【「もうひとつのわたし」の痛み】または【わたしのもうひとつの痛み】が言及されますが文意が決定できません。これは「光る一本の弦」がそれまで語られてきた弦なのか、別の弦なのかにも影響してると思います。
    私は、同じ一つの弦についての詩行だと解釈し、「わたし」には他の痛みもあるのだけど、それと違う「もうひとつの痛み」が、このフレーズまで語られてきた弦に結ばれているのだと解釈しました。
    このあと、
    「後ろに広がる全ての風景が/やさしく耳を澄ましてる/奏でることのできないメロディに」
    は、倒置法と解しました。
    すなわち、全ての風景が、(無音の)メロディーに、耳を済ましてる、のだと思います。
    この箇所で行為の主体となる「全ての風景」は解釈の分かれるところと思います。
    弦が奏でる音が無いのか在るのか、冒頭から疑問や解釈が展開されてきましたので、やはり弦は音を奏でていたのかも知れません。それを、これまで語られてきた、弦と関係した事物(風とか鳥とか)が聴いているのか。
    あるいはそれらは弦の音を聴かず、語り手の目前の周囲(言い換えると世界)が語り手の過去の痛みを含めて、鳴り響いては来なかった弦の音を、時空を超えて聴くのか?
    私は後者と解釈しました。

    以上のように拝読して、作品内容についての感想ですが、冒頭の「弦だけで音はしない」というフレーズに力があると感じました。
    その無音を世界が聴くという、構図を想像して、それは私の好みの情景だなぁと思いました。

  3. 薔薇*
    薔薇*

    蛾兆ボルカさん、コメントありがとうございます。

    ボルカさんは詩人ですので詩集を読んでその作者に思いを寄せる

    と言うことを想像できますでしょうね。

    極く若い頃私にもそういう経験があります。

    実際にその思いが叶うはずもなく

    でも詩と言うものの怖ろしさといいますか

    言葉一つにあらゆる感情を経験し

    とりつかれたように私も拙い詩を書きました。

    リルケや白秋が現代に生きていたら

    と思うような自分だけのはた迷惑な詩の数々。

    その頃知ったオペラの曲と歌詞は

    どんな現代詩よりも心に添うものでした。

    どの行か

    出典はどんな詩集か

    いずれここに付記いたしますが

    それは今連載中の歌劇「ハルシュタット」が

    完成してからにしたいと思います。

    割とさりげない行であるとは思います。

    作品解釈については

    「弦」「風景」についてとくに

    非常に嬉しく読ませていただきました。

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