いきいきて

誰も喋らない

行列は進む
皆前だけを見つめ
道から外れたところで見守る私を
手招きしてくれる人もいない

途切れない行進
西の国境を目指している

私のうしろに広がる家々のどこかで
かなしげな犬の遠吠えだけが聞こえる
生きているものは哭く
しあわせになれないから
でも誰かに踏まれた雑草だって
生きるためにもがいてる

沈みかけている太陽は
彼らのたどり着く場所の目印
そこには彼らが安らかに眠れる
しとねがある
しあわせがある

私は行列から背を向けた
まともな寝床を探すために
生きている限り
しあわせになれないのに
しあわせを探すのが
生きているためだから
やさしい寝床を探す旅だから
喪われた面影を振りきって
やみくもに叫びながら走った

コメント

“いきいきて” への4件のフィードバック

  1. 花緒
    花緒

    最近様々な戯曲を読むのですが、ギリシャ悲劇における「コロス(幕間の唄)」っぽいな、などといった感想を持ちました。全然明後日の方向からの感想で恐縮です。

  2. 桐ヶ谷忍
    桐ヶ谷忍

    こんにちは、花緒さん。
    コロスとは……と検索してみて、なんとなーく理解しました。
    確かに!確かにこの詩はコロスっぽいです!
    戯曲を読まれ書かれる花緒さんだからこその、ご感想を頂けました。嬉しい。
    コメントどうもありがとうございました。ぺこり。

  3. fio

    桐ヶ谷さん、お久しぶりです。
    「いきいきて」を読ませていただきました。

      生きている限り
      しあわせになれないのに
      しあわせを探すのが
      生きているためだから(「いきいきて」より)

    「喪われた面影」から逃れられないとき、このパラドックスというか自問自答が、
    際限なく身に襲いかかるのを、誰もが経験するのではないでしょうか?
    でも、「しあわせ」と「生きている」の二項でこのように表すのはたぶん難しい。
    「しあわせ」という素朴な言葉選びが、
    確かにあのときそう感じていた、と自分の経験を思い出させました。

    詩作品自体がいつもだれにとっても傷口だと思っているのですが、
    傷を広げるように書くしかないときがあり、その姿も引用した4行に重なります。

  4. 桐ヶ谷忍
    桐ヶ谷忍

    お久しぶりです、フィオさん。

    傷を広げるように書く、というお言葉に、なんだか妙に感動してしまいました。
    引用してくださった箇所は、ほとんどここを書くために書いた詩なのですが、考えて書けるタイプではないため、意味はわかるのだけど本質的には自分でも何を想起してこの箇所が降ってきたのか分かりませんでした。
    でもフィオさんのコメントでおぼろにですが分かったような気がします。感謝します。
    コメントどうもありがとうございました。ぺこり。

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