うしのはんすうし ぷらす

ぼくは
このうしくん

くさを
たべてはもどす
もどしてはたべる
はんすうしながら
くさをかむのだ

このうしくん

となりは
あのうしくん

あのうしくん

となりは
そのうしくん

このうしくん

あのうしくん

あのうしくん

いう

あのうしくん

そのうしくん

そのうしくん

いう

でも
そのうしくん

このうしくん

あのうしくん

いってしまったら

このうしくん

あのうしくん

なって

あのうしくん

そのうしくん

なって

みんないっかい
どのうしくん

なって

どのうしくん

さいしょによんだうしが
あたらしい
このうしくん

ぼくは
このうしくん
ぶたばなのうし

このうしくん

となりは
あのうしくん

あのうしくん

ぶたばなのうし

あのうしくん

となりは
そのうしくん

そのうしくん

やっぱり、ぶたばな

ぼくは
このうしくん
くさをたべると
げっぷする

このうしくん

あのうしくん

おい、ぶた

いうと

あのうしくん

そのうしくん

おい、ぶた

いって

そのうしくん

このうしくん

おい、ぶた

いう

そうして
おいぶたくん

あらわれて

おいぶたくん

このうしくん

このうしくん

いう

ぼくは
このうしくん

ぶたが
すきな
うしだ

このうしくん

おいぶたくん

おいぶたくん

いうと

おいぶたくん

このうしくん

このうしくん

いう

そうしてふたり
まきばをあるき
しろつめくさを
いっしょにかむ

ぼくは
このうしくん

なまえは
まだない

このうしくん

くさをたべて
ねむたくなると

あのうしくん

ぐーぐーいって

そのうしくん

もう
ゆめのなか

ゆめのなかでは
どのうしくん

なって

だれも
どのうしくん

ゆびさしたりは
しない


投稿日

コメント

“うしのはんすうし ぷらす” への8件のフィードバック

  1. 蛾兆ボルカ
    蛾兆ボルカ

    こんばんは。
    この詩を拝読していて、リズムが時計的とでもいうような刻み方をするなぁと思いました。けして止まらず、取り返しもつかない時間の流れの中で、のんびりとドラマが進んでいくように思いました。
    ブタが好きな牛たち。
    なんだか美味しそうな牛だな、と思いました。

    ◯で区切られた第2パートから第3パートにかけて、だんだん緊張感が増して来るなぁと思ったのですけど、

    》そうしてふたり
    》まきばをあるき
    》しろつめくさを
    》いっしょにかむ

    ここですっと力が抜ける感じ。
    そして気がつくととぼけた感じもあり、哀愁もあり、と思って、それが心地良かったです。

  2. 花緒
    花緒

    ボルカさん

    コメントくださり有難うございます。
    この作品は昔描いたもので、その際は、このうしくんが食べられるが、
    はんすうされたりしないからすぐにきえていなくなる
    と語り、また新たなこのうしくんが作られていく、というものでした。

    ダークな要素を明確に入れていたので、
    その分やりたいことがわかりやすくなっていた反面、
    ダークな要素を入れるべきでないのではと言う感覚があり、
    ダーク要素を排斥したかたちで書き進めてみた次第です。

    お読みくださり有難うございます。

  3. fio

    もの凄くいい詩(自分にとっても世界にとっても)が、年に一作
    あれば、それは凄いことと思います。
    もの凄い詩人が十年に一人出れば、その場所はいい場所といえる
    んじゃないかと、個人的には思います。
    その稀有なひとつのために、結果として、下草(作品)だったり、
    捨て石(批評)だったりしたこと、喧嘩したり、妥協しあったり
    したことは、じゅうぶん極道な時間だったと言えるんじゃないか。

    傍目にどんなつまらない作品やコメントであっても、参加すると
    決めた気持ちの中心にあるものは自分だけが知り、護るものだと
    おもいます。
    それは、どんなに罵倒されても、讃えられても、他者の立ち入る
    ことの出来ないものではないか。

    この詩を読んだ後、無名性について考えました。名前のない世界
    が本来の姿だと思いますが、その暗黒、あるいは安らぎを。

    人間の名付ける執念は、満点の夜空の星一個一個、雑草の一本一
    本、見たこともない昆虫や動物、しぐさや感情etc、etc、
    ありとあらゆるものに名前をつけていく。そんな世界に私は生ま
    れてきたなあ、と。そしてすぐさま、自分も名付けられたなあ、
    と。

        >みんないっかい
        >どのうしくん
        >に
        >なって

        >どのうしくん
        >が
        >さいしょによんだうしが
        >あたらしい
        >このうしくん

    自分の意識が少し洗われた気がしたんですけど。
    (’16/07/09 21:41:01)

       ♢  ♢  ♢  ♢  ♢

    以上は、かつて文極にて李 明子というハンドルでコメントした
    ものです。今回の改稿によっても、同じ感想を持ちましたので、
    ルール違反かもと思いつつそのまま書き写します。
    新たに付け加えることがありましたら、後日また・・。

  4. 蛾兆ボルカ
    蛾兆ボルカ

    こんにちは。
    フィオさんのコメントをヒントに、僕も追記させてください。

    僕はブンゴクまでは探しに戻ってませんが、旧ビーレビバージョンを読んでみました。
    そこに僕の感想もあるのを見つけ、懐かしく思い出しました。

    引用ー
    (1)私の解釈では、ここではポエジーと現実の衝突が起きていて、それはシュールレアリズムの美であるところの、異質なものの偶然かつ明晰な出合、(文が長くなりますが)、即ち女神に引き出しのついたダリの絵のようなものを思わせられます。

    自分でも、「これでは伝わらない」と思うような、唐突な感想です。その節は失礼しました。この(1)の部分はこの作品とダリの絵画の対比・類推を誘うことによって、自分がこの作品から感じたことを伝えようとしたようですが、失敗していたと思います。
    ダリについての僕の個人的な想いは、当時も今も、甚だしく未確定な状態です。それなのに、それを例に上げたのは間違いでした。未確定ながら、僕なりに認めていた、ダリ作品の美しさを例にしようとしたのですけど、未確定では例えにできる訳ありません。大変、失礼しました。

    続いて、当時の僕は2つのことを述べていました。

    引用ー
    (2)この暖かく素敵なものと残酷な現実の、冷たい衝突の向こうにあるものは決して描かれない。だけど見つめ続けたくなるんですよね。
    (3) この反復の穏やかなポエム的味わいは、それ自体も仮象ではない。

    ここが僕があの時、この詩のビーレビバージョンについて、味わったことの要点だったのでは、と思います。
    そして、あのときの僕は書いてはおりませんでしたが、今読むとあのバージョンについては、人間の行いに関する喩えとしても感じられました。
    匿名の暴力ということと、その被害の匿名性、つまり、殺される牛の消失から、匿名の被害が、闇に消えるということを思います。

    今回のバージョンは、長さがあのときの2倍ぐらいあることと、作者がおっしゃるとおり、ブラック要素が削られたことが異なります。
    うしくんたちはこのバージョンでも、名前を交換可能な、匿名状態のような仕方で生活してますけど、この作品では、それでも僕は僕で、君は君なのだということを感じました。こちらのうしくん達には、喩えよりも、うしくんとしての生を強く感じます。それが僕の印象の、前回読んだ時とは異なる点でした。
    無名のままいつか終り、あのうしくんとこのうしくんが入れ替わってゆくにせよ、それでもここに、僕とあのうしくんやこのうしくんがいて、時々ブタだったりする物語があったのだ、と感じす。
    個人的、主観的な感想ですけど、こちらのほうが僕は、深い恐ろしさと深い共感を感じて、好きです。
    でもあれも、鋭くて悪くありませんね。

  5. 花緒
    花緒

    うしのはんすうしを書いて投稿すると
    いつもどこかから、Fiorinaさんがあらわれて李 明子さん名義でのコメントを更新してくださるのですよね。
    とても光栄です。

  6. 花緒
    花緒

    ボルカさん、有難うございます。とても光栄に思っております。
    ノーベル文学賞を取ったカズオイシグロの「わたしを離さないで」の世界観ー残酷なことがこれから起こる気配が濃厚なのだけれど、それは巧妙に隠されているーに私は共感するところあります。
    牧場で飼育される動物だけでなくて、人生全体がそういうものだという見方は一面真実であるようにも感じており。

    屠殺される動物のように入れ替え可能なものとして扱われるのは残酷ですが、いい感じでヒュージョンする感じで、入れ替わるのはそれはそれで面白かったり、入れ替えることにも多義性があるようなことを考えたりしながら推敲しました。

  7. 西の子
    西の子

    おもしろかったです。現代詩とはこういうかしこさにあるんだっけな、と思いました。
    うしの世界ってたしかに雑だよなと思いました。アメリカでうしに海藻を食べさせたらゲップにメタンガスがでなくなるというニュースがありましたが、それに気づいたらもうアメリカではうしの餌に海藻しかくれないんだろうなと思って、そのうしの世界の雑さを、こういう形で表現する人がいて、私以外にうしって雑に扱ってもしたたかに生きる素晴らしい生き物ということを考えてる人がいるというのがうれしかったです。

  8. 花緒
    花緒

    西の子さん

    コメント有難うございます。牛の世界の雑さ面白いですね。人間も動物も引いた目で見るとずいぶん雑に生きているのでしょうね。

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