101パーセントの悲しみ

ためいき一個分だけはみ出したかなしみが
座標上の一点Qにあり
ショットグラス一個分だけはみ出したかなしみが
別の一点Rにある

南極あたりと北極あたりを通り、地球公転面と直
交する直線をY軸として
地球中心と太陽中心を結ぶ直線をX軸とし、
X軸とY軸どちらとも直交する直線をZ軸とすると
地上の2点QとRが描く軌跡がどうなるのかはさておき、さておくのか
置き忘れられる、られて良いのか、良いのだ

しかし

かなしみは満ちたあと、
ちょっとだけはみ出す


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コメント

“101パーセントの悲しみ” への5件のフィードバック

  1. 蛾兆ボルカ
    蛾兆ボルカ

    今日書いた作品です。
    まだ自分と作品の距離が近すぎて、どんな作品なのか見えてこないので、コメント頂けると嬉しいです。
    よろしくお願いします。

  2. 花緒
    花緒

    模型や映像を横目で見ながらこの詩を読むのか、
    それとも詩を読みながら、映像をイメージしようとしてみるのか、
    私は前者の方がより詩情を味わえそうな印象を受けました。
    詩を読むというモードではなくて、
    数学のモードに一瞬なってしまうので、そういう読み方を誘導しているのか
    あるいは、そういうふうに読んで欲しいわけではないのか、そのあたりがより鮮明になってくるとより楽しめるのかもしれない、などと考えたりしました。

  3. 蛾兆ボルカ
    蛾兆ボルカ

    花緒さん
    コメントありがとうございます。

    まだ確信はないのですけど、もしかするとこの作品は、一部をアニメーションに背負わせる方が良いのかも知れません。
    あるいは挿絵を一枚添えるだけでも、言葉から外せるものが多々あるのかも。

    言われてみれば、そうした事を、僕は赤瀬川原平の詩画集に影響を受けていた十代の頃、自分でも試みてました。説明として必要なことは、言葉ではなく、モノのコラージュや挿絵で示して、詩を構成する、というような。

    また、もしそうせず、すべてを言葉で描くのなら、この場合X軸、Y軸、Z軸がソコに伸びていくことに伴う、詩的必然性や詩的な情景が足りなかったのかも知れません。
    考えてみると、それは地球の自転であり、それが僕がこの詩を着想した動機だったかも。

    気づきをありがとうございます。

  4. fio

    海からの贈り物であるかのような涙がツーと流れてくるときの、
    地球上の点にいる孤独と一体感を思いました。
    遠心力で今、ここに、という状態に維持(呪縛)されながら、
    それと同期しないような人間の持ってる困った力、
    4連の「満ちる」からは月の引力、海の波立つ有様も。

    1連、2連をペンと紙で書いてみました。
    地球の自転(ボルカさんコメントより)が、
    1連か2連に匂わせ?られていたら、
    詩がどうなるのかを考えてみました。

    決別の詩のようにも感じました。

    独特の軽さがあり、
    深読み癖の私には読むほどに味わいが深まりました。

  5. 蛾兆ボルカ
    蛾兆ボルカ

    フィオさん
    コメントありがとうございます。

    そうなんですよね。
    言われてみれば、月は地球からはみ出してて、何故か意味不明に郷愁を誘いますし、潮のみちひきも考えちゃいます。
    地球自体も寂しかったり悲しかったりしないとは限らないし、そもそも太陽だって、木星や他の惑星をはみ出させてるんですよね。

    そういえば、秋という季節も、夏のはみ出しみたいなものですね。

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