去来する白鳥のための試論

だれもでない電話が鳴りつづけている
白日と白夜のみわけもつかない

生命に死はないと措定する
もともとなかった死という虚な観念をこじつけたから 死は
得体の知れない不気味なものとして恐れられるのではないか
嘘だとおもうなら
親しかった故人のことをおもいうかべてみるといい
いまもなお あなたの胸にありありと生きているだろう
もともとなかった死を観念づけるためにこそ
葬式や墓がひつようなのではないか
それらがなければ──
白日と白夜のみわけもつかない

だれもでない電話が鳴りつづけている

白鳥が越冬のために旅立つことを知らなければ
西比利亜のひとびとは白鳥が死んだとおもわないだろうか
あるいは知っていたなら白鳥が死んだとしても
越冬のために旅立ったのだとおもわないだろうか

白日か白夜かわからないままでいい
受話器をとらなければ不在の声をおもいうかべていられる


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コメント

“去来する白鳥のための試論” への4件のフィードバック

  1. 花緒
    花緒

    お久しぶりです。早く来ればいいのになあ〜と思っていたので、再開を嬉しく思います。随分以前に投稿作を読ませていただいた時から、筆力が増しておられる印象を受けました。

  2. 沙一
    沙一

    花緒さん

    ありがとうございます。
    筆力を上げられるのも、作品を投稿してはディスカッションできる場があるおかげかもしれません。

  3. 蛾兆ボルカ
    蛾兆ボルカ

    こんばんは。

    拝読して、不在ということを巡り、想いに駆られました。
    SF作家のカートボネガットが作中に四次元生物(宇宙人?)を登場させますが、四次元を自在に移動したり、時間を無視して出来事を認識したりする生物にとっては、ある人が死亡していなくなるということは、たぶんあまり意味がありません。

    我々は三次元生物で、時間ってものを過ぎ去るものだと認識してますから、我々は亡くなった方を次第に遠く感じてゆくのですけど、実はいく分かは我々も四次元生物なのかも知れませんね。
    私も死者を時間を無視した思い出し方で思い出すことがあり、それを思うと、死ということはあまり現実的ではないような気もしてきます。

    季節ごとに死ぬ生き物が、何食わぬ顔で季節ごとにまた同じ場所に増えていたりするのって、思えば面白いことですね。

  4. 沙一
    沙一

    蛾兆ボルカさん

    お読みいただきありがとうございます。
    人は思いを馳せるとき、時間も空間も超えていくので、たしかに四次元の領域を往き来しているといえそうですね。

    まためぐり来る春が待ち遠しい今日このごろです。

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